乳がんになったウェディングプランナーときどき猫🐈 ~プロローグ~
アラフィフの悲劇
先日2019年2月末をもって会社員としてのウェディングプランナーを卒業した。
これからもウェディングには携わりたいと思うけど、それはあくまでサブ?(副業)的な感じがいいな~と思ってる。
なぜなら、めっちゃハードな職業なんだよね~
もちろんやりがいは半端ないいけど。。。
雇用条件やお給料よりも「必要とされている感」が色濃く出る職業だから、
男性よりも仕事に対して「他者貢献度」を重要視する女性が多いんだと思う。
さて、そんなウェディングプランナーを辞め、次に目標としたのがなんと
「女将(ママ)」笑
なぜ「女将」なのかはもう少しあとの回でお話しするとして、
メインタイトルである「乳がんになったウェディングプランナー」というところからお話しを始めます。
私がウェディングプランナーとして結婚式の担当デビューをしたのが10年前の2009年1月。
当時は念願のウェディングの仕事という事もあり、辛いことよりも楽しいことの方が勝っていて。
3年目にはマネージャーという役職に自ら志願。
部下をもち、なまじ責任感の強い私はさらに拍車をかけて仕事に情熱を傾ける日々を送ってました。
当時私は
42歳独身。
彼氏ナシ。
結婚というものはあまりイメージできなかったけど、子供を産むという選択がもう最終局面を迎えていて。ただ一人では子供は産めない・・・
葛藤しながらもどちらかというと諦めに近い感情だったのかな、今考えると。
それを直視しないように仕事に没頭する日々でした。
それなりにマネージャーとして自分の価値観を共有できるチームを作る事ができた充実感もあって
「あ~結婚しなくても、子供とか産まなくても幸せか~」なんて思っていた47歳になった矢先の11月の健康診断で
「要再検査」
「まじか~!」というのが第一声。
でも多分大丈夫でしょ。
と楽観視もしてた。
証拠に周りの友人や仕事仲間にも「要再検査なんだよね~」って普通にネタにしてたから。
不安なまま年越しをしたくなくて翌月の12月26日、年末ギリッギリで再検査。
その時の光景は今も鮮明に憶えている。
一通りの検査を終えて看護師さんに促され診察室へ入って座る私。
カルテをじっと見ていた女医さんが、私を見た時の顔でもう解った。
「あ~結構ヤバイんだ~」
私の右のおっぱいのレントゲン写真にある白い塊を指して
「1~1.5センチくらいなんだけど、これ以上はうちでは検査できないから、専門の病院に行ってみてね、どこかあてある?」
あるわけない。
速攻実家に電話して事情を話すとどうも叔母が乳がんだったらしい。
そんなようなことを去年両親が話してたのを聞いたかも?と思いだした。
叔母が手術をした病院がいいからと両親から言われ、そのように女医の先生に紹介状を書いてもらって、病院を後にした。
紹介先の病院は案の定、年末診察予約は終了。
年明け初診療日の4日に予約を取りひとまず休戦。
あら~こんなド不安なまま年を越すのか・・・と思ったのもつかの間。
基本ポジティブな私は年末は年末で友人と鍋を囲み、ライブに行き、いつものように大好きなお酒を呑んで楽しく年を越したのであった(笑)
つづく。