乳がんになったウェディングプランナーときどき猫🐈 ~ episode1~
* はじめてのがーん
案外充実した年末を過ごした私。
結局呑んだくれたまま新年を迎え1月2日から仕事始め。
私が勤務している会場は市の施設でもあるので、年始は本業ではなく市の行事のお手伝いなんかもする。
めんどくさいけどここで気前よく手伝うと後で何かと融通がきくので、やっておく(笑)
そして4日の精密検査。病院は全国区のがんセンター病院。
「がんセンター」ってわかりやすいけど、「検査どこの病院?」って聞かれたときに言えないんだよね。
聞いた相手が「めっちゃ聞いちゃいかんかったー」って顔するから(笑)
まず、健康診断先の病院から渡された紹介状とレントゲンなどの画像が入っているCD-Rを受付へ。
促されるまま3階の乳腺科へ。
年始初日なのでものすごい人。
受付でもらった紙を出すと、アンケートを記入して下さいと言われ結構なプライベートな内容を記入。
(配偶者の有無や両親の有無、独身だと面倒見てくれる人がいない場合があるから患者の環境についてはめっちゃ口頭でも聞かれる)
ひとまず初診。これから主治医になってくれる先生と初対面。
率直な疑問なんだけど、
主治医ってなんで選べないんだろう。。。
日本って組織や会社は選べるけど、担当者は選べない。
ウェディングプランナーもそう。
出会いは運だけど、そんな一世一代の場面で運に身を任せざるを得ないシステムってどうなんだろう?
皆納得してるんだろうか?
合わなかったら勇気をもって主治医(担当者)を変えてください!と訴えるか、病院を変えるかしかない。
セカンド、サードオピニオンが定着はしているとわいえ、結構時間と労力がかかる。
仕事しながら、もしオピニオンとか言ってる間に進行しちゃったらどうしようっていう不安に苛まれながら決断を迫られる。
ネットでめちゃめちゃ調べるけど、何が私にとって有益な情報なのかわからない。
自分の運命を左右するかもしれない人は自分で選びたいものだとその時思った。
その運命の人は少し白髪の混じった細身な50代くらいの男の先生だった。
まず私が持ってきた資料を見て、
「画像が読み取れなかったからもう一回検査しようかー」って言って、
血液検査とマンモグラフィーと超音波検査があるので、
こことこことここへ行って検査してから戻ってきて下さーいって。
至って普通な感じ。
余談だけど検査してて思ったのが、がんセンターの先生も看護師さんも採血する人もレントゲン技師の人も受付の人も
みーーーーんなやさしい💛
こんなに患者さんいるのに。
時々めっちゃ口の悪い患者さんとかもいるけど、丁寧に説明してキチンと対応してる。
飲食店でさえ忙しいと不愛想な店員いるのに。
そこは本当に最後まで誰一人としていつ何時も対応が変わらないすごい病院だったな。
そして検査結果を
待つ。。。待つ。。。待つ。。。
2時間くらい待ったかな。
やっと呼ばれて先生の開口一番
「がんですね。おそらく
ステージ1でしょう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・の部分はもうよく憶えてない。
頭が真っ白になって遠くで先生の声がうっすら聞こえているけど何言ってるか全然入ってこない。
それよか
「どうしよう」
「仕事は?」
「お金は?」
「弥太郎は?」
あ、弥太郎とは年末に買い始めた猫の事。種類はアメショー。
弥太郎についてはまた改めて書きます。
虚ろなまま次の検査と今後の流れを聞いて、診察室を出た。
精算をするために2階に降りるエスカレーターで自然と涙がでて止まらなくなった。
そのまま受付待合のベンチに座り嗚咽を堪えながら泣いた。
ただただ不安で泣いた。
あんなふうに泣いたのは47年生きてきて初めてだったと思う。
ひとしきり泣いたら、お腹がすいてきて帰ろうと思って席を立った。
精算をしてそのまま併設されているMRIを撮る施設へ行って予約をした。
帰り道はほんとに何も考えられなかった。
ただただ電車に乗って帰った。
つづく。